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松岡修造のテニス選手経歴について

松岡修造

報道ステーションでの熱いスポーツコーナーやタレントでの活躍がスポットを浴びている松岡修造の選手経歴を紹介します。

松岡修造がテニスに目覚めたのは8歳の時でした。姉の影響を受けて始めることになりました。当時兄と一緒に練習をしていたのですが、才能は兄の方が抜群にあり、松岡の才能はそれほどでもないものだったと松岡は言います。才能のない自分をわかってはいましたがテニスに対する情熱は凄まじいもので名門クラブの桜田倶楽部で厳しいコーチの元でテニスの指導を受けるようになります。

中学校2年生の時に全国中学校テニス選手権で優勝するとこのころから松岡の才能が開花し始めます。高校時代麻雀にはまって目標を見失うなどの紆余曲折ありつつも1986年にプロとなり1989年初のBP国際選手権で準優勝します。

1992年には4月のソウル・オープンで準決勝では当時世界ランク2位のステファン・エドベリを接戦の末破り大番狂わせを起こし、決勝では敗れたもののこのことでテニスの世界ランク46位にランクイン。錦織圭が更新するまでの世界ランキング最高位となりました。そして1995年かの有名なウィンブルドン選手権でベスト8まで進出し、その際に歓喜のあまりコートに大の字で倒れる映像が松岡を象徴するシーンとしてメディアで取り上げられ、松岡修造=テニスのイメージを世間に印象づけました。