サムライ 世界で戦う日本人選手

日本人でも人気の太田雄貴は世界を駆ける

太田雄貴

サムライ 世界で戦う日本人選手の中で人気なのが太田雄貴ですが、2008(平成20)年に開催された北京オリンピックでは、日本人にとってフェンシング界で初のメダルの銀を獲得したことで大きく全国的に知られるようになりました。実際の実力においても2006(平成16)年、FIFAワールドカップ・アメリカ大会のアジア地区の最終予選でお馴染みのドーハで開催されたアジア競技大会では、準決勝で前年の世界選手権の2位の中国の選手を破り大金星挙げ、その勢いのまま金メダルを取得しています。

太田雄貴は1985(昭和60)年、京都府に生まれ滋賀県の大津市で育ち、北京オリンピックの銀メダル取得により有名になったことで、当時関西六大学で知られる同志社大学に在籍していましたが、複数の会社からオファーがあった中で、森永製菓に入社しました。

現在も森永製菓に所属していて、マネージメントの契約先はスキー・ノルディック複合で活躍した荻原兄弟などが所属するスポーツビズです。太田雄貴は、東京オリンピック開催に向けて日本の広告塔として英語でスピーチを行ない、開催が決定した瞬間の喜びの表情は今でも強く印象に残っているひとも多いほどです。